自由な精神の現われ
2015-09-21
■師匠に挑戦する弟子(2/2)
禅の修行によって得る心の大自在とは、因果を超越したり、無視したりすることではなく、
「原因と結果の法則」を受け入れて、より良い人生を生きていくことだというのが、百丈和尚(ひゃくじょう-おしょう)の回答でした。
さて、野狐(やこ)の妖怪となった元禅僧は、百丈和尚(ひゃくじょう-おしょう)の「不昧因果(ふまい-いんが)」という教えを聞くと、悟りを開くことができ、妖怪の身を脱して、無事に成仏できました。
百丈和尚(ひゃくじょう-おしょう)が、その話を禅堂で弟子たちにすると、一番弟子であった黄檗(おうばく)が鋭い質問をしました。
「野狐(やこ)の妖怪となった元禅僧の老人は誤った教えを弟子に説いたために、妖怪になったといいます。
もし、その老人が常に正しいことをおしえていたならば、いったい何になっていたでしょうか?
菩薩(ぼさつ)さまですか? 仏さまですか?
あるいは、それ以上の何かになったのでしょうか?」
黄檗(おうばく)の問いを平たく言えば、
「お師匠さまように正しい教えをいつも説いていたら、
すでにお釈迦(しゃか)さま以上の存在になっていても
おかしくないでしょう。そもそも、お師匠さまは、何ものですか?」
というものです。
師匠である百丈和尚(ひゃくじょう-おしょう)に向かって、弟子の黄檗(おうばく)が挑戦状をつきつけるような鋭く厳しい質問です。
この問いをきっかけに、今度は、師匠と弟子の間で禅問答が行なわれます。
さて、百丈和尚(ひゃくじょう-おしょう)は、弟子の問いかけにどのように答えたのでしょうか?続きをおよみください。