般若心経について-その1「はじめに」4

2013-05-03

私は、公認会計士であり、会計については、専門家ですが、仏教については、あくまで一在家信者です。
大学などで仏教の専門教育を受けたわけではありませんし、何らかの資格を持っているというわけではありません。
在家信者としては、人間禅道場でかなりの禅修行をさせていただいた経験がありますが、いわゆる専門家ではなく、アマチュアであると考えています。

しかし、大乗仏教の精神は、出家・在家の枠を超えて、衆生済度(しゅじょうさいど)を目的とするものですから、アマチュアだから発言していけないということはないと思います。このブログも、大乗仏教の精神からは、離れていないと考えています。

それに、良い意味でのアマチュアリズムというものがあります。
僧侶の方々のように宗門の縛りもなく、また、専門の仏教学者のように学問的方法に縛られることもない自由な立場ゆえに、専門家にはしにくい自由な解釈ができるという利点があることです。

このように考えるのは、私自身、会計について発言するときは、公認会計士という国家資格保有者として、会計士業界や会計学の常識を無視することはできないからです。

例えば、グローバル化の流れの中で次々に導入される新しい会計基準の中には、自分としては、日本企業の実態に合わないのではないかと思う規定もあります。

しかし、公認会計士として企業に意見を言う場合は、会計基準という公に認められたルールを尊重せざるを得ません。
どのような世界でも、専門家には専門家としてのルールがあるわけですが、僧侶や学者の方にも、同様の事情があるのではないかと思います。

その点、アマチュアリズムには、自由に発想できるという良い面があります。そこで、このブログでは、アマチュアリズムの良い面を生かして、あくまで一在家信者の立場から自由に解釈していきたいと思います。

もちろん、先人の研究や山田無文老師のような深い修行体験に基づく解釈を無視するわけではありませんが、それに縛られると、かえってわかりにくくなるように思います。

 じつは、私自身が、『般若心経』の解説書を何冊も読んだのですが、今一つ納得がいかないというか、腑に落ちないところがありました。

 それは、名著といわれる山田無文老師や松原泰道師の本を読んで、多いに感動しながらも、やはり理解しきれない面がありました。
 解説書に書かれていることが理解できないというより、それに素直に共感できないという感じでした。

 特に、『般若心経』の核心である「空(くう)」とは何か?という問題が、中々、理解できません。
 おそらく仏教に関心のある多くの方にとっても、同様の疑問があるのではないかと思います。

 「空(くう)」というものを自分なりに理解しようと思うと、どうしても、伝統的、正統的な解釈を離れざるを得ないというのが、私の考えです。

 そこで、このブログは、「空(くう)」というものを仏教の専門家ではない一般人としてどのように考えたら理解しやすいのか、という点に主眼をおいて書いていきたいと思います。
 

私のブログにおける『般若心経』は、伝統的、正統的な解釈ではないのですが、私と同様、仏教の専門家ではない一般の方々にとって、参考になれば幸いです。

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