般若心経について-その3「経題」(2)「般若(はんにゃ)」
「般若(はんにゃ)」
「般若(はんにゃ)」という言葉は、サンスクリット語の「プラジュニャー」という、智慧(ちえ)を意味する言葉を音写したということです。
ただ、直接の語源は、サンスクリット語が俗語であるパーリ語の「パンニャ」の音訳のようです。
岩波文庫などによれば、「般若」の智慧とは、普通の分別知ではなく、より根源的な「無分別知」であるといいます。
「人間が真実の生命に目覚めたときにあらわれる根源的な叡智(えいち)」(岩波文庫より)であると解説されていますが、言葉を増やしただけで、かえってわかりにくいかもしれません。
要するに、「般若(はんにゃ)」とは、人間的な知恵や世間的な利口さでもなく、学問的、科学的な知でもなく、「仏様の智慧」「悟りの智慧」を表す言葉と受け止めましょう。
私たちの通常の認識作用は、見る者(観察者)と見られる物(対象物)が対立する智恵です。
それゆえに分別の知恵、「分別知」といわれます。相対的な知と言えるでしょう。
科学的な知は、仮説と実験により、厳密に対象を研究しますが、このような「知」は、典型的な「分別知」です。
それに対して、「仏様の智慧」は、「無分別知」と言われるように、見る者(観察者)と見られる物(対象物)の対立を超えた認識作用です。相対的な知恵ではなくて、絶対的な智慧と説明されます。
禅定(ぜんじょう)という瞑想状態から直観的に把握される知です。
推理や仮説や実験検証などによらず、直接的に世界の本質を認識する智慧です。
日常的には、直感とか、勘(カン)とかいわれる認識方法に近いイメージかもしれません。
「仏様の智慧」で一番大事なことが、「空(くう)」ということです。
しかし、「空(くう)」とはどういうことかは、『般若心経』の主題ですから、おいおい、考えていきたいと思います。