般若心経について-その3「経題」(3)「波羅蜜多(はらみた)」
2013-05-03
「波羅蜜多(はらみた)」
「波羅蜜多(はらみた)」とは、「パラミーター」というサンスクリット後の音写ですが、「あちら側に至った状態」というのが元の意味です。
「あちら側」とは、仏教が理想とする「悟りの世界」であり、「彼岸(ひがん)」と漢訳されます。
それに対して、私たち凡夫が生きる「この世」は、「迷いの世界」であり、「こちら側」という意味で「此岸(しがん)」と言われます。
亡くなられた方は、「彼岸(ひがん)」すなわち阿弥陀様(あみださま)のいる「浄土(じょうど)」に迎えられるというのが、浄土教の教えです。
浄土に渡った祖先を偲んで法要するのが、春分の日と秋分の日の「彼岸会(ひがんえ)」という法要ですが、いわゆる「お彼岸」であり、お墓参りをされる方も多いと思います。
この「お彼岸」は、浄土教の教えの影響により根付いた日本独自の仏教行事だそうです。日本人が、古来からご先祖を大事にする文化であることが、「お彼岸」に現れていると思います。
しかし、『般若心経』の教えは、死後の成仏(じょうぶつ)を説いているのではなく、この世において「悟りの世界」に近づくべきことを教えています。
そのあたりを山田無文老師は、以下のように解説されています。
「彼岸は、理想の国であります。
理想の世界ではあるが、現実を離れた世界ではない。
しかも、天国のように手の届かん世界でもなく、
極楽浄土のように死んでから行くところでもなく、
お互いが努力さえすれば、何か方法さえ企てれば行ける世界が、
彼岸なのであります。
(『般若心経』山田無文老師著、禅文化研究所刊行より)
「彼岸」を努力によって、修行によって到達できる世界と捉えるところが、いかにも禅的な発想であると思います。
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