野狐禅(やこぜん)
2015-09-13
■お前は何ものか?(2/2)
今回、ご紹介するのは、円熟した百丈和尚(ひゃくじょう-おしょう)の有名な「野狐禅(やこぜん)」の話です。
百丈和尚(ひゃくじょう-おしょう)が、弟子たちのために、提唱(ていしょう)という禅的な講話をされていました。
おそらく、禅仏法に関心のある一般の人でも提唱を聞くことを許していたのでしょう。
提唱の度に、いつも後ろの方で、黙って提唱を拝聴している見慣れぬ老人がいたそうです。
提唱(ていしょう)がおわれば、修行僧は禅堂に戻って、坐禅を始めます。一般の方は、そのまま帰ることができます。
ふだんは、老人も修行僧と一緒に退出して、どこへとも知れずに帰っていたのですが、ある日、みんなが退出したあとに、老人だけが残っておりました。
百丈和尚(ひゃくじょう-おしょう)に何かを問いかけたそうな様子をみて、他のものをすべて退席させてから、百丈(ひゃくじょう)は老人に問いかけました。
「わしの前に立っているお前さんは、いったい何ものだい?」
百丈の言葉は、普通の質問のように感じますが、
じつは、「お前の真実の自己とは何か?」
という深い禅的な意味を含んでいます。
日常的な言葉を使って、禅問答を行い、修行者を悟りの世界に導こうというのが、禅仏教のやり方です。
このときの百丈和尚(ひゃくじょう-おしょう)の問いも、老人の修行熱心を認めての慈悲心からの問いでした。
百丈(しゃくじょう)の慈悲心を感じ取った老人は、おもむろに不思議なことを語り出しました。
これが、「野狐禅(やこぜん)」という禅語の出所となった話です。どうぞ、続きをお読みください。