野狐禅(やこぜん)
2015-09-13
■妖怪となった禅僧(1/4)
百丈和尚(ひゃくじょう-おしょう)から「お前は何ものだ?」と問われた老人は、奇妙なことを言いだしました。
「私は、人間ではありません。古い古い過去の時代に、
この百丈山(ひゃくじょうさん)の住職だったものです。
そのときに、一人の修行者から次のように問われました。」
「和尚さまのような禅の修行を極めた
「大修行底(だいしゅぎょうてい)」の人は、
因果(いんが)の支配をうけるのでしょうか?
それとも、因果(いんが)の支配をうけないのでしょうか?」
ここでいう「因果(いんが)」とは、
「原因と結果の法則」のことです。
物であれ、現象であれ、何かが存在するとき、かならず、
ある原因があり、結果があり、その結果がまた他の原因となり、
という「原因と結果の法則」の無数の積み重ねによって
成り立っています。
すべての物事が、因果の網目によってつながっており、
独立して存在しているものは何もないというのが、
仏教の「空(くう)」の教えです。
この「空(くう)」の教えによれば、物質だけではなく、
人間はもちろん、仏さまや阿弥陀さまのようなサムシング・グレートでさえも、「因果」の網目の中に存在することになります。
しかし、見方をかえれば、人間は、つねに因果関係に縛られている不自由な存在ともいえます。
禅仏教では、
「禅の修行によって心の垢(あか)を落として、
大自在をえて、自分の人生の主人公になれ!」
ということを教えます。
修行者の問いは、
「心の大自由をえた偉大な禅者は、
「原因と結果の法則」を超越しているのではないか。
因果を超越するからこそ、
大自由の境涯を得られるのではないか?」
という意味でした。