野狐禅(やこぜん)
2015-09-13
■妖怪となった禅僧(3/4)
「不昧因果(ふまい-いんが)」という教えを聞いた野狐(やこ)の老人は、
その言葉により、数百年ぶりに本当の悟りを得ることができ、成仏できたということです。
この話から「野狐禅(やこぜん)」という言葉ができました。
「野狐禅(やこぜん)」とは、この老人のように、まだ悟りきっていないのに悟ったかのようにうぬぼれることです。
転じて、物事を生かじりして、知ったような顔でうぬぼれることを意味します。
現代では、一般の国語辞書にも載っている言葉になっています。
さて、これだけ読むと、「不落因果(ふらく-いんが)」は間違いで、
「不昧因果(ふまい-いんが)」だけが正しいように感じます。
しかし、ある面では、「不落因果(ふらく-いんが)」は正しいのです。
「因果」すなわち「原因と結果の法則」とは、厳然たる事実であり、真実でしょう。
しかし、世間との関係から言えば、世間の常識や慣習も、因果にかかわってきます。
因果を重視しすぎると、やはり、不自由なこともあります。
因果の法則や常識を明確に認識しつつ、あえて、常識を超越することも、また人間の心の自由です。
その場に応じて、自由に両方の態度をとれることが、禅者の目標でもあります。
野狐となった老人は、因果を超越することにこだわりすぎたために、
妖怪の世界に落ち込みました。
因果を超越するだけではなく、その時その場に応じて、
因果に従うことも、また、心の自由のあり方です。