『修身教授録』とペスタロッチについて

2014-02-09

ペスタロッチが活躍した時代は、まさにフランス革命によってヨーロッパ全体が動乱に巻込まれた時代でした。

1789年に勃発したフランス革命は、「自由・平等・友愛」を旗印に、時のフランス王政を倒し、フランス国王ルイ16世、王妃マリー・アントワネットを死刑にしました。王政が倒れて共和制になっても、国内にはジャコバン党による恐怖政治(テロの嵐)が吹き荒れました。
さらに、イギリスを中心とするヨーロッパ各国の王政復古をめざす軍事的介入もあり、フランスの政治は大混乱の状況でした。

この混乱状態が、やがて軍人であるナポレオンの台頭を促し、1799年にはナポレオンによる独裁の確立(後のナポレオン帝政)につながります。
皇帝ナポレオンの登場によってフランスは勢いに乗り、イギリス、イタリア、オーストリア、プロイセン(ドイツ)、ロシアなど、ほとんどのヨーロッパ諸国と次々と戦争をして、1810年ごろまでは勝ち続け、広大な領土を獲得することができました。

しかし、1812年のロシア戦役(トルストイの『戦争と平和』の舞台)でナポレオンが破れると、再び、ヨーロッパ各国によるナポレオン(フランス)包囲網ができ、フランスは、諸外国から激しく攻め込まれ、ナポレオンは戦いに敗れて、退位に追い込まれます。

その後、一度は、皇帝に復帰したナポレオン(百日天下)も、1815年、ワーテルローの戦いでイギリス・プロイセンの連合軍に完敗し、ついに、大西洋の絶海の孤島であるセントヘレナ島に流され、そこで死ぬことになります。

この時代のヨーロッパは、まさに戦国時代のような激動の時代でした。

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