『損すること』を学ぶ

2013-11-16

禅の古典である『碧巌録』(へきがんろく)の中に、

「衆生(しゅじょう)、顛倒(てんどう)して、
 己(おのれ)に迷うて、物を追う」
(『碧巌録』第四十六則 鏡清雨滴(きょうしょう-うてき))

という禅語があります。

「人は誰でも心の中が混乱していると、
真実の 自分を見失って、外の物ばかりを追いかけるものだ」

という意味ですが、これが、私たち凡夫の自然な姿なのでしょう。

安谷白雲老師の『碧巌録提唱』では、この第四十六則に、次のような解説が書いてあります。

「(人間は)顛倒(てんどう)と、逆さまに考えている。
向こうに物があると思って、自分を置き忘れて、
物ばかり追い回しておる」
(『碧巌録提唱』安谷白雲著より)

人間は、大事な自分のことを忘れて、向こう側にある物ばかりを追いかけていると、白雲老師はいいます。
その結果どうなるのでしょうか?

「我々は、迷いという、無い縄に自分を縛られた夢を見て、動きが取れない。」
(『碧巌録提唱』安谷白雲著より)

ありもしない迷いの縄に縛られた夢をみて、自分で自分を縛るような心の持ち方をして、精神的に身動きができなくなります。
白雲老師は、迷いの縄に自分から縛られている凡夫の姿をさらに丁寧に解説します。

「自分でくっついたという錯覚を起こして、
自分でくっついているから仕様がない」

「何か得れば、得たものにひっつく。
常にひっつくもんだから、動きが取れない。
自分の手に入ったら、はいと云って、受け取っておけば良い。

逃げていくときは、ほっと放してやればやれば良い。

ところが、手に入ったら、もう放すまいと思って、
ひっつくもんだから、
そいつが逃げて行くときはは、さあ、たまらない。

そして、自分で苦しんでいる。
自分で勝手にひっつく夢を見てるんです。」

「来るものは来る、去るものは去るんだから。
何も、ネバネバする必要はない。
 したってダメなんだから。
 けれども凡夫は、どうもネバネバした夢を見て、
 それで苦しんでいる。」
(『碧巌録提唱』安谷白雲著より)

手に入ったものをもう放すまいとひっつくから、自分で自分を苦しめることになる。

だから「来るものは来る、去るものは去るのだから、ネバネバとひっつくな。」ということになります。
これが、「損をすることを学ぶ」仏の教えの内容ではないでしょうか。

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