『日本的霊性』とは?ー2

2013-05-03

禅仏教の場合は、全体的に「現世利益」を言わない傾向が強いと思います。

「何のために禅の修行するのですか?」

「自分が自分になるためだ!」

といった具合です。

禅という深い瞑想によって自己を見つめ、自分の心を磨いていくこと自体が目的であり、それによる「利益」は、「少しずつ仏様の境涯に近づけること」になります。

 死後の世界のことも言わず、もっぱら「今、ここ、自己」を生き生きと生きることを大切にする教えです。
 非常に真面目な宗教であると言えるでしょう。

 しかし、現実世界の荒波にぶつかって精神的に落ち込んだ時など、あまりの真面目さに苦しく感じる時もあります。
自分の力不足を自分で強く責めてしまうからでしょう。
「まだまだ、修行が足らないのだ」という具合にです。

 それが前向きに出れば良いのですが、私などは、心が弱いので、うつっぽい精神状態の時には、ひたすら自己否定的気分に落ち込んでしまうこともあります。

 徹底的に坐禅をすれば、そのような気分も払拭されてきますが、そこまでの時間もないときもあります。
もっとも、短時間の坐禅やイス禅でも、それなりの功徳(くどく)はありますので、弱い心の支えにはなります。

ただ、そういう時に禅関係の本を読むと、あまりに厳しい教えにますます落ちこむこともあります。

特に『碧巌録(へきがんろく)』や『無門関(むもんかん)』などの提唱録(老師が修行者向けに講話したもの)は、修行者を叱咤激励する言葉に溢れているので、いっそう落ち込みやすい傾向にあります。

そのため、私は、うつっぽい気分の時には、禅関係の本、特に提唱録はあまり読まないようにしています。

もっとも、これはあくまで、私個人の嗜好の問題です。一般論ではありません。

精神的に強い人は、そういう時こそ、老師方の迫力ある提唱録を読むと励まされるという方もおられることでしょう。そのような読み方をできる方は素晴らしいと思います。

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