『禅と陽明学』より「聖徳太子」

2014-02-13

禅宗が日本に伝わり、広まったのは、鎌倉時代、13世紀以降のことです。しかし、仏教の教えそのものは、はるかに古く、6世紀の欽明天皇(きんめい-てんのう)に時代でした。

しかし、欽明天皇の時代から数十年は、仏教を受け入れるかどうかが、政治的な争いとなり、仏寺を建立することもままならない時代状況が続きました。

当時の日本人にとっては、仏教は、舶来の恐ろしい教えと映ったのでしょう。仏教を信仰すると、日本の古来からの神々がお怒りになって、疫病や飢饉などの天罰を下すと考えられたようです。

実際、朝鮮から伝わった仏像を祭っていたお寺が、反対勢力によって何度も焼打ちにあって、仏像が川に流されるという事件が起きています。

日本に本当の意味で仏教が根付いたのは、聖徳太子(西暦574年~622年)の時代でした。聖徳太子こそが、日本の仏教の開祖というべき存在です。

もっとも、これは『日本書紀』の記載を歴史的事実と受け止めた場合の見方です。
1980年代以降、聖徳太子は、『日本書紀』(720年成立)の編纂者である藤原不比等(ふじわら-ふひと)などによって、創作された存在であり、実際の聖徳太子とは異なるのではないかという歴史学説が有力になっています。

それらの学説のポイントをいえば、

「偉大な聖人である聖徳太子は存在しない。
そのモデルとなった厩戸皇子(うまやど-おうじ)は実在したが、
『日本書紀』に描かれた聖徳太子とは全く異なる。
聖徳太子は、『日本書紀』編纂者による創作である」

というものです。

1970年代に小中高校で教育を受けた私にとっては、聖徳太子は歴史上の偉人として教わりましたので、「聖徳太子は虚構であり、後世の創作である」という学説を知ったときには、大きな衝撃をうけました。

余談ですが、最近でも、作曲家の佐村河内守(さむらごうち-まもる)氏がじつは作曲をしておらず、ゴーストライターの新垣隆(にいがき-たかし)氏の作品だったということが発覚して、大ニュースとなっています。
私もクラシック音楽ファンの一人として、被爆二世で聴覚障害を持つ佐村河内氏を心の中では応援していただけに、激しいショックと驚きを感じました。

同時に、このような詐欺的なウソをつかないと新曲が売れないクラシック音楽界の実状をとても残念に感じた次第です。

佐村河内氏の件は、関係者が生きているうちに、事実が明らかになっていますから、歴史的には大した事件ではないでしょう。

それに対して「聖徳太子が創作だった」としたら、『日本書紀』(720年成立)以来、1200年以上も私たち日本人は、だまされてきたことになり、佐村河内とは比べ物にならない歴史的大事件ではないかと、私には感じられます。

 聖徳太子が、もしも、『日本書紀』編纂者による創作であって、虚構であるとしたら、それを私たちはどのようにとらえたらよいのでしょうか?

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