『禅と陽明学』(安岡正篤著)について

2014-02-09

さて、前置きはこれくらいにしまして、安岡先生の『禅と陽明学』の中で、仏教や禅に関して私が感動した部分を適宜引用しながら、感想を書きたいと思います。

(お釈迦さまの)お釈迦(しゃか)さんたる所以(ゆえん)は、
決して単なる哲学の大家である、
あるいは形式道徳、通俗的教訓というようなものを
押し立てたのではなく、
実に、批判を絶した渾然(こんぜん)たる一大人格であります。

即ち、人とは何ぞや、生とは何ぞや、我とは何ぞや、
自ら覚(さと)り、他を覚(さと)らせる、
自覚・覚他(じかく・かくた)の大精神に燃えた、
偉大なる指導者であった点に彼の特色があるのです。
(『禅と陽明学』上巻P.54)

お釈迦さまが、ブッダ(偉大なる悟りを開いた人の意味)であるゆえんを安岡先生一流の表現で見事に説明しておられます。

安岡先生によれば、お釈迦さまは、単なる哲学者でもなく、形式道徳や通俗的な教訓を教える者でもなく、「批判を絶した渾然(こんぜん)たる一大人格」であり、「自ら覚(さと)り他を覚(さと)らせる」偉大なる精神的指導者であると捉えておられます。

これは、仏教学者の説明と本質的には同じ捉え方だと思いますが、安岡先生は、お釈迦さまにおそらくご自身の理想を重ね合わせて理解されておられるのでしょう。

お釈迦さまを「お釈迦さん」と「さん」づけで呼び、「彼」と呼ぶところに、安岡先生の気宇の壮大さがにじみ出ております。

禅道場でも、「釈迦(しゃか)、何人(なんぴと)ぞ、我れ何人(なんぴと)ぞ、の意気込みを持って修行せよ」といわれましたが、
私のような凡夫には、頭では理解できても、なかなか実践できるものではありません。

安岡先生のように、長年にわたり古今東西の古典に学んで、精神を鍛え上げた真の哲人にして、初めて言いうる表現なのだろうと思います。

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