『論語』の言葉-4「巧言令色、すくなし仁」①

2012-12-15

『論語』の言葉の中で、最も有名な言葉の一つを取り上げたいと思います。

「言葉を巧みにし、外貌を飾って人を喜ばせようとすると、己の本心の徳がなくなってしまうものである。」

「巧言令色(こうげんれいしょく)、すくなし仁(じん)。」

『論語』学而第一より

この言葉は、誤解を招きやすい言葉だと思います。
孔子は、ここでは「巧言令色」(言葉を巧みにして、外貌を飾って人を喜ばせようとすること)を強く否定しています。
あたかも、まったく、言葉も外見も、飾ってはいけないといわんばかりです。

しかし、言葉や外見を飾るということは、社会生活を円滑に進めるためにも、また、人生を楽しむためにも、必要なことです。特に、現代社会ではそうでしょう。
ビジネスにおいても、初対面の印象は大変大事であり、営業職の方は、初対面の印象をよくするために、いろいろな工夫をされていると思います。

また、仕事を受注するためには、プレゼンが大変大事ですね。
プレゼンスキルは、ビジネスマンの必須科目の一つといってもよいでしょう。

プレゼンにおいては、話す内容もさることながら、態度や声の調子など、非言語コミュニケーションが90%以上の比重を占めるといわれています。
オバマ大統領や古くはケネディ大統領の演説が感動を呼ぶのは、話の内容の良さももちろんですが、いわゆるプレゼンスキルの素晴らしさによる部分も大きいのです。

孔子は、そのようなプレゼンスキルを否定し、ひたすら、地味に真面目にあることを推奨しているのでしょうか?

もちろん、そのようなことはありません。
実は、孔子学派、すなわち儒教においては、「礼」というものを大変重んじます。
「礼」とは、それぞれの社会的立場や場面に応じた作法言動を細かく規定するものです。

「礼」に基づいて、立派な立ち居振る舞いと言動をできるようにすることが、孔子の私塾での必須の学習項目でした。『論語』冒頭の「学びて、時にこれを習う」とは、礼の作法を練習することだという解釈もあるほどです。

孔子の時代における「礼」は、今でいう「マナー」という意味に加え「プレゼンスキル」という意味も含んでいると思います。少なくとも、外交交渉などでは、「礼」にかなっているかどうかが、大変重要視されました。「礼」にかなった形で自国の利益を主張していくことが交渉を有利に進めるために、大変重要だったのです。

そのように「礼」を重んじた孔子が、「巧言令色」を強く否定したのは、なぜでしょうか。
それは、「礼」を熱心に学ぶ弟子たちに対する注意であったと思います。

「礼」に習熟することは、言葉が巧みになる側面もありますし、外見を立派にする要素も当然に含まれています。
「礼」を単なるスキルとらえて、「礼」にかなった立ち居振る舞いが立派にできるようになっただけで、自分が偉くなったように錯覚する弟子も、中にはいたのでしょう。

しかし、孔子の目指すものは、単なる「礼」というスキルの専門教育ではありません。
「礼」というスキルの学習を通じて、人間性を高めていくことが孔子の目標です。
本来の目標を忘れて、単なる「礼」というスキルに習熟しただけでは、まさに「巧言令色」という言葉巧みに外見を飾るだけのレベルです。

「礼」を学び、言葉や外見を立派にすることも、それはそれで、大事な学習目標だったと思います。
しかし、それを通じて、人間性を磨くことを忘れたとしたら、ただ、スキルだけ身につけて傲慢な人間になったとしたら、何のための学習かわからなくなります。

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