内山老師「沢木興道老師の坐禅について」

2013-11-23

内山老師と仏教徒の最初の出会いは、帝大(現在の東京大学)仏教青年会館でした。
 当時(大正時代)、毎週土曜日に有名な仏教学者の講演会が仏教青年会館であったので、よく聞きに行ったそうですが、これも、内山少年の意に満たないものでした。

「仏教の先生方の話は、まず菩提涅槃(ぼだい-ねはん)を
 求める、仏教は成仏の教えというところから出発する。
ところがね、私にとっては「オレの人生」こそが問題なのです。

神だ、仏だとよそ事ばかり、
そんなものにはとてもついて行けない」
(『宿なし興道 法句参(ほっくさん)』より)

わずか15歳にして、内山老師は「私にとっては、「オレの人生」こそが問題」という主体的な問題意識を明確に持ったのでした。
そのため、当時の新興宗教である天理教や大本教の教えを聞いても、「世間的なご利益(りやく)の話ばかりで、これらも、もちろん私の人生とは関係のないことで、まったくがっかりした」(『宿なし興道 法句参(ほっくさん)』より)ということになります。

旧制中学4年、5年生のころ、今で言えば、高校1年から2年生の頃には、

「けっきょく、「オレはオレの真実を生きる」より
 仕方がないと決心した」(同書)
というところまで行き着きます。

しかし、
「ではその真実とは何か-
これはまったく、そのころの私には分からなかった。
それどころか以来、50年(原稿を書かれた70歳になるまで)、
私はそれだけを一生追求しつつ生きてきているわけです」(同書)

とのこと。
これは、内山老師の純粋さ、求道心(ぐどうしん)の篤さが伺える素晴らしい言葉だと思います。

「オレはオレの真実を生きる」「ではその真実とは何か」

という問いは、禅仏教でいう「己事究明」(こじきゅうめい)の問いと本質的に同じものです。

 すでに、内山老師は、中学生の頃から初発心(しょほっしん)ができていたということでしょう。

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