内山老師「沢木興道老師の坐禅について」

2013-11-23

「己事究明」(こじきゅうめい)とは、
「自己とは何かを究明する」という意味の禅語ですが、
禅的に深い意味があります。

臨済禅の精神を建学の精神とする京都の花園大学のホームページでは「己事究明」(こじきゅうめい)について以下のように説明されています。

「その精神は「己事究明」ということであり、
 単なる西洋近代的人間主義でなく、
 人間の奥深いところにある創造的絶対主体性を自覚すること
 であります。

 その自覚こそが太陽の如く普(あまね)く
 一切の生きとし生けるものを照らし生かしていくもの
 でなければなりません。

 その自覚は一人ひとりにあるのであって、
 他に求めるものではなく、
 そのためには、幾多の苦難を乗りこえて、
 この己(おのれ)を極めて行く道しかありません。」
(花園大学のホームページより) 
http://www.hanazono.ac.jp/education/gp/sesshin

「人間の奥深いところにある創造的絶対主体性を自覚すること」とは、内山老師の言葉に当てはめれば、「オレはオレの真実を生きる」ということになります。
これこそ、禅仏教の求道心であり、禅の修行の目的であると言えるでしょう。

このような禅的な求道心が内山老師にあったからこそ、後年の沢木老師との出会いにつながります。
そして、沢木老師の晩年25年間を沢木老師の侍者(じしゃ)として、沢木老師のそばで修行一筋に生きることにつながったのでしょう。

沢木老師は、まぎれもなく昭和の代表する禅僧の一人であり、一代の傑物ですが、その沢木老師と内山老師が出会いも、一大事件であったと思います。
内山老師は、後世のために、沢木老師の教えを内山流にわかりやすく解説してくださったのですから、私たちにとっても、大変幸せな出会いでありました。

さて、少し先走りましたが、内山老師は、わずか17歳くらいで
「オレはオレの真実を生きる」より仕方がないと決心」します。

「ではその真実とは何か-」
「私はそれだけを一生追求しつつ生きてきている」

という内山老師が、生涯の師となった沢木老師と出会うには、まだ時間がかかります。

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