天地一杯の生命になる

2013-12-26

しかし、実際には、なかなか、「生きているだけで、ありがたい」という境地にはたどり着けません。

それどころか、仕事に悩み、人間関係に悩み、お金に悩みと私たちは、いつも、悩みにしばられて生きているような感じです。

せわしない日常生活の中では、「天地一杯の生命」に気がつく余裕がなく、しばしば、そのことを忘れてしまいます。

かりに、頭で理論的に覚えたとしても、実際に「ありがたい人生」を生きていくことは難しいことです。
本来は、「宇宙とぶっつづき」のはずなのに、「それを本当に実現していない」のが、私たち凡夫の普通の姿でしょう。

その原因は、「心識(あたま)」にあります。
情報に振り回され、欲に振り回され、あれこれと頭で考えすぎることから、「天地一杯の生命」という一番大事なことを見失ってしまうわけです。

「木を見て森を見ない」というコトワザのように、枝葉のことに注意が惹きつけられて、最も大事なことを忘れてしまうのです。

坐禅の良い点は、「その心識(あたま)を手放す」ことにあります。

深い坐禅ができれば、あれこれと「考えたことがふっと消えてしまう」状態になります。

そうなったときには、「天地一杯の生命が現成(げんじょう)する」、つまり、自分の生きているこの世界が、天地一杯の生命の現れであることに、自然と気がつきます。

このような体験的な知を禅では「悟り」と名づけています。

頭による理解を超えた深い認識なので、「悟り」という言葉を使うわけですが、私たちが、悟ろうと悟まいとこの宇宙のあり方が変わるわけではありません。

ただ、宇宙や自分自身についての見え方が変わってきて、それによって、自分にとらわれることによって生ずる心の悩みから救われるのだと思います。

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