悩みは成長の原動力、ビジネスに役立つ禅の話

2014-04-18

■慧可がヒジを切り落とす(2/3)

それを聞いた達磨大師(だるま-だいし)は、

「多くの人を救おうなどとは傲慢な奴だ。
そのようなおごり高ぶった人間は、厳しい修行に耐えられない。
このまま帰れ!」

ときびしく突き放したのでした。

仏教の理想は、「衆生済度(しゅじょう-さいど)」といって、あらゆる人々を救おうというものです。

慧可(えか)の答えは、仏教大学の入学試験ならば、文句のつけようのない満点答案でした。しかし、達磨大師(だるま-だいし)は、その答えをただちに否定したのです。

寒さの厳しい12月に、雪の中を何時間も立ち尽くして、やっと振り向いてくれたかと思ったら、はげしく叱られて「お前みたいな奴は帰れ!」とはねつけられたのですから、慧可(えか)の心中は、如何ばかりだったでしょうか。

おそらく、悲しみに胸の張り裂ける思いがしたに違いありません。思い余った慧可(えか)は、このまま死んでもよいと思ったようです。

「私は真剣です。どうか、(禅の教えで)私をお助けください」と叫び、護身用の刀で自分の左腕をヒジから切り落として、血のしたたる左腕を達磨大師(だるま-だいし)にささげました。

それを見た達磨大師は、ようやく慧可(えか)の弟子入りを許したと伝えられています。

もちろん、これも伝説であり、歴史的事実ではないでしょう。私の勝手な想像ですが、真剣さを伝えるため、慧可(えか)は自分のヒジのあたりを刀で傷つけて、血判かわりに流れる血を達磨大師にお見せになったのではないでしょうか。(事実は分かりません。)

それよりも問題なのは、「多くの悩める人々をお救いください」という最初の模範解答は落第なのに、「私をお助けください」という一見エゴイスティックにも聞こえる心の叫びが、なぜ合格なのか?ということです。

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