本来無一物

2014-05-25

■弘忍(ぐにん)と慧能(えのう)(1/2)

中国に禅の教えを伝えた達磨大師(だるま-だいし)から数えて5代目という意味で、五祖(ごそ)といわれた禅僧が、弘忍(ぐにん)です。弘忍(ぐにん)は、7世紀の唐時代初期に活躍しました。

達磨大師(だるま-だいし)の時代、禅宗は小さな宗派でしたが、弘忍(ぐにん)のころには、かなり規模が大きくなっていたようです。弘忍(ぐにん)の修行道場には、700人もの修行僧が集まって修行に励んでいました。

そこに、慧能(えのう)という若者がやってきました。後に、弘忍(ぐにん)の後をついで、六祖(ろくそ)といわれるようになる方です。

慧能(えのう)は、若いときに父親と死に別れ、貧乏な生活の中で、山でたきぎを拾って町で売る仕事で、母親を養っていたといわれます。

ある日、慧能(えのう)は、町で禅僧が読んでいた金剛経(こんごうきょう)というお経の一節を聞いたとたん、忽然(こつぜん)として悟りを開きました。

修行僧でもなく、仏教の勉強や坐禅など何もしていないのに、読経の声を聞いただけで悟りを開いたのですから、慧能(えのう)はよほど天才肌なのでしょう。

(仏教的には、前世・過去世において、十分な修行や功徳(くどく)を積んだから、今生において、わずかなきっかけで悟りを開いたと考えます。)

禅の解説書には、

「坐禅をしなければ悟れないというわけではない。
慧能(えのう)のように、心が白紙になってお経を聞けば、
いっぺんに悟れる。
しかし、なかなか白紙になれないから、坐禅の修行をするのだ」

と解説されています。

頭が白紙になれば、「衆生(しゅじょう)本来(ほんらい)仏(ほとけ)なり」<坐禅和讃(ざぜんわさん)より>という、誰もが持っている素晴らしい大先天性が表れるというのが、禅の教えです。

私たち凡夫は、頭を白紙にできないから、あれこれ悩まざるを得ないのでしょう。それもまた、前世の因縁かもしれません。

Copyright© 2012 二代目、三代目経営者を公認会計士が支援する有徳経営研究所 All Rights Reserved.