無門関第二十則「大力量人」

2014-06-08

前置きが長くなりましたが、禅の語録を素読(そどく)してみたいという方のために、漢文の書き下し文を最初に掲載します。

なお、仏教漢文の素読(そどく)に関心のない方、関心はあっても、これは難しいと感じる方は、漢文書き下しの部分は、読み飛ばしても大丈夫です。

【原漢文の書き下し文】

『無門関(むもんかん)』
第二十則 「大力量人(だいりきりょうにん)」

<本則(ほんそく)>:公案の提示

松源和尚(しょうげん-おしょう)云(いわ)く、

「大力量の人、甚(なん)に因(よ)ってか、
脚(あし)を抬(もた)げ起(お)こさざる?」。

又云く、「口を開くこと、舌頭上(ぜっとうじょう)に在らざる?」。 


<評唱:公案に対する無門禅師の禅的批評>

松源(しょうげん)謂(い)いつべし。
腸(はらわた)を傾(かたむ)け、腹(はら)を倒(たお)すと。
只(た)だ是(こ)れ、人の承当(じょうとう)することを欠く。

たとい直下(じきげ)に承当(じょうとう)するも、
正(まさ)に好(よ)し、無門(むもん)が処(ところ)に来たって
痛棒(つうぼう)を喫(きっ)せんに。

何が故(ゆえ)ぞ。ニイ。
真金(しんきん)を識(し)らんと要(ほっ)せば、
火裏(かり)に看(み)よ。

<頌(じゅ)に曰(いわ)く>
(頌(じゅ)とは公案の精神を読み込んだ禅的な漢詩)

脚(あし)を抬(もた)げて 
踏翻(とうほん)す 香水海(こうずいかい)、

頭(こうべ)を低(た)れて 
俯(ふ)し視(み)る  四禅天(ぜんてん)。

一箇(いっこ)の渾身(こんしん) 
著(つ)くるに処(ところ)無し、

請う、一句を続(つ)げ。

引き続いて、岩波文庫の『無門関』(西村恵信・訳注)から現代語訳を掲載します。

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