禅の知恵と古典に学ぶ人間学勉強会(11)開催致しました。

2015-01-21

2015年1月19日に禅の知恵と古典に学ぶ人間学勉強会(11)開催致しました。

今回の流れと致しまして
誰でもできる禅的な瞑想法として、イス禅を皆さんと一緒に実習致しまして、その後、『無門関』(むもんかん)、『碧巌録』(へきがんろく)など禅の古典から、現代に生きる私たちにも役立つ禅の話をご紹介致しました。

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1.「南泉斬猫(なんせん-ざんみょう)」:何を斬るのか?
南泉(なんせん)和尚が、猫を斬る

■堂々巡りの議論(1/2)

中国は唐の時代の後半、9世紀には、禅宗が大変盛んになり、歴史に名前の残っている偉大な禅者が輩出しました。その中の一人に、南泉(なんせん)がいます。

南泉(なんせん)といえば、「南泉斬猫(なんせん-ざんみょう)」という大変有名な禅話があります。禅僧である南泉和尚(なんせん-おしょう)が、弟子たちの前で猫を切り捨てたという話です。

ある日、南泉(なんせん)の禅道場で、大勢の弟子たちが、「猫のような動物も、成仏(じょうぶつ)できるか、どうか?」などと、猫をめぐって仏教学的な議論をしていました。しかし、頭の良い弟子たちの議論は、しだいに「ああでもない、こうでもない」と堂々巡りをはじめました。

現代の会社の会議でも、アイディアを出す段階が終わって、結論を出すべき段階になっても、なかなか結論がでずに、やがて時間切れになって、次回に持ち越しになることがあります。それと似たような状態だったのでしょう。

弟子たちの煮え切らない議論を陰ながら聞いていた南泉和尚(なんせん-おしょう)は、弟子たちを指導してやろうと思ったようです。南泉(なんせん)は、そばにいたノラ猫をつかえて、弟子たちの面前につきつけました。

「さあ、この猫について、お前たちの結論をはっきりと言ってみろ! 正しいことを言えたら、この猫を許してやるが、言えなかったら、猫をぶち殺すぞ!」

それまで盛んに議論をしていた弟子たちですが、師匠の前に出ると、さずがに自信がなくなり、皆しゅんとして何も言わなかったといいます。すると、南泉は、持っていた刀で猫を斬ってしまいました。

もっとも、実際に切り殺したわけではなく、切るマネをしただけで、猫は放してやったようです。中国は、伝統的に表現が大げさなので、原文では、「猫を斬(き)る」となっていますが、弟子を指導するのに、わざわざ猫を切り殺す必要はありません。

さて、仏教には、「生き物を殺してはいけない」という大事な戒律(かいりつ)があります。それにもかかわらず、「なぜ南泉(なんせん)が猫を斬ったのか?(斬るマネを演じたのか?)」というところが、この禅話のポイントになります。

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