第二十則「大力量人」(解説その1)
安谷(やすたに)老師は、提唱録の中で、私たち凡夫の苦しみの原因を禅的に解説されます。
苦しみとは、自我というものにとらわれて、迷(まよい)の夢を見ていることであり、自分でないものが向こうにあるという対立観念にとらわれていることが苦しみの原因であるということです。
「貪・瞋・癡(とん・じん・ち)」の三毒(さんどく)といっても、つきつめれば、「自分へのとらわれ」が人生の苦しみの原因であるということです。
そのような「自分へのとらわれ」を原因として、自他が対立しているという夢の中でもがいているのが、私たち凡夫です。
修行によって自他対立の夢が破れ、自他が本当は一つであると気が付くことが、禅の悟りであり、それを徹底的に極めたのがお釈迦さまであるということです。
そのため、お釈迦さまは、「いつも宇宙を呑んで、我一人」「すべては自分だ。だからすべての責任は自分に在る」という心に達しています。そのため、対立観念がなく、そもそも腹が立たない境涯です。そのようなお釈迦さまの心をお経には次のように書かれているそうです。
「今 この三界(さんがい)は、是れ 我が有なり。
その中の衆生(しゅじょう)は、悉(ことごと)く
これ 我が子なりと。」
(いま、この宇宙全体は、私の有するものだ。
その中にいる生きとし生けるものは、
すべて私の子供である。)
宇宙全体を自分とひと続きのものと見て、すべての存在は我が子のような慈しみの対象となるというのが、お釈迦さまの心です。広大無辺な慈悲の心といえましょう。
このような広大無辺な慈悲の心を持てるのは、「無我(むが)」だからです。小さな自己に捉われない真の自由を得ているからです。
「貪・瞋・癡(とん・じん・ち)」の三毒(さんどく)を克服し、忍耐の徳を本当に成就すると「無我(むが)」という真の自由を得られます。
それがお釈迦さまであり、究極の「大力量人(だいりきりょうにん)」であると安谷老師は解説されています。