自己の存在価値を自己において見出す
マズローの欲求段階説は、20世紀後半の豊かなアメリカ社会を前提にした心理学の理論です。
お釈迦さまが活躍された2500年前のインドはもちろん、禅仏教が中国で発達した唐から宋の時代(今から1千年ほど前)においても、日本が禅仏教を受け入れた鎌倉時代も、現代に比べれば、はるかに貧しい社会でした。
日本では、鎌倉時代から江戸時代まで、何度も、飢饉が起こり、その度に多数の餓死者が出るような時代に、禅宗や浄土教、日蓮宗などの日本的な仏教が発達し、民衆にも普及しました。
当時の貧しい民衆が、マズローの言う自己実現段階にあったとは、私には思えません。
しかし、最も貧しい民衆の中に、妙好人(みょうこうにん)と呼ばれる浄土信仰に生きる生き仏のような方々がたくさんあられました。
これは、私の考えですが、「自己超越」の欲求は、通常の「生理的欲求」~「自己実現欲求」に至るマズローの5段階の欲求とは、別次元のものではないかと思います。
それぞれの段階において、「自己超越」を求める欲求が起こりうるもので、5段階の現世的な欲求と同列ではなく、それを縦軸のように貫く宗教的、哲学的、芸術的な欲求ではないかと思います。
「真」(宗教的価値)・「善」(哲学的価値)・「美」(芸術的価値)への欲求と言っても良いかもしれません。
「自己超越」は、「自己実現」とイコールではないと思いますが、それぞれのレベルで、人々の心を豊かにし、「自己実現」に向かう活動を助けてくれる働き(功徳:くどく)があるように思います。
禅の教えは、「自己超越」を目ざすものであり、人間が本来持っている「自己超越」の素質を育ててくれるものといえるでしょう。
さて、心理学が自己実現にも段階があることを教えてくれているように、あるとき、突然、より高次の自己実現に目覚めて、それが実現できない現状に、「虚しさ」を感じ始める人もいます。
時には、「自己実現」とは、次元の異なる「自己超越」の欲求に目覚める方もおられるでしょう。