自己の存在価値を自己において見出す

2013-12-12

曹洞宗の禅僧の中で、昭和の時代に最も活躍されたのが、沢木興道老師です。(さわき こうどう、道号:祖門、明治13年(1880年)生まれ - 昭和40年(1965年)没)

何回かに分けて、沢木興道老師の残された言葉に、一番弟子であった内山興正(こうしょう)老師が解説をつけた本、『宿なし興道 法句参(ほっくさん)』(大法輪閣)から、沢木老師および内山老師の教えをご紹介してきました。

この本の後半は、「沢木興道老師の坐禅について」と題して、内山老師がご自身の文章で、沢木老師の教えをまとまった形で解説されています。
これがまた、大変、味わいのある良い文章なので、適宜、要点をご紹介していきます。

内山老師は、まだ出家する前の在家のとき(30歳の時)、昭和16年7月の総持寺夏期参禅会に参加して、沢木老師に初めて出会い、衝撃を受けられました。
総持寺における沢木老師の法話に夢中になった内山青年は、話の内容を自宅に戻ってから整理されました。そのとき、内山老師がまとめた沢木老師の教えのポイントは、以下の5か条です。

<沢木興道老師の禅のポイント>
第一、仏法とは、ゆきつく所へゆきついた人生を
教えるものである。
第二、坐禅は、透明なる自己になることである。

第三、坐禅は、自分が自分を自分することである。

第四、坐禅は、宇宙とぶっつづきの自己になることである。

第五、坐禅してもなんにもならぬ。

今回は、沢木老師の教え5か条の第3条「坐禅は、自分が自分を自分することである。」について、内山老師の解説を見てましょう。

<内山興正(こうしょう)老師の解説-1>
第三、「坐禅は、自分が自分を自分することである」
―この老師の言葉は、私自身、長い間、分かったようで、
また分からない気がしていた。

そのうち、ようやく私自身に、はっきりしたことは
「自分が自分を自分する」とか「自己に親しむ」とかいうのは、
本当の自己の実物として生きるということです。

そしてさらには、
自己の存在価値を自己において見出している、ということです。

「坐禅は、自分が、自分を、自分すること」というのは、
沢木興道老師の名言の一つだと思いますが、
内山老師もおっしゃるように、わかったようでわからない面があります。
主語の「自分が」や目的語の「自分を」は、まだ良いのですが、
述語であり結論である「自分する」という部分がわかりにくいですね。

そもそも、普通の日本語では、「自分する」という動詞はないので、ある意味、沢木老師の造語であるわけです。

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