般若心経についてーその2本文と山田無文老師の現代語訳(1)
2013-05-03
では、まず、『般若心経』の本文と、禅宗における正統的な解釈である山田無文老師の訳文をご紹介しましょう。
前回も書きましたが、山田無文(むもん)老師は、臨済宗妙心寺派の元管長で、昭和を代表する禅僧の一人と言われます。著書もたくさんあり、いずれも、臨済宗の教えを滋味深い名文で書かれた名著ばかりと言えるでしょう。禅文化研究所から全集も刊行されています。
なお、『般若心経』も仏教の宗派によって解釈が変わります。
宗派によって仏教全体に対する考え方の違いがあり、伝統的、正統的な『般若心経』解釈も、それを反映して様々な解釈が成り立ちます。
どれが正しいというより、それぞれに説得力があり、魅力があると思います。
富士山の静岡側からの眺めと山梨県側からの眺めは当然異なりますが、富士山であることに変わりはなく、それぞれに富士山の美しさがあります。
名僧や一流の学者によるお経の伝統的な解釈も、富士山の眺めと同じでしょう。
『般若心経』の伝統的な解釈に軽々しく優劣を付けることは、静岡県から見た富士山と、山梨県から見た富士山のどちらが美しいかを争うようなものではないでしょうか。
ちなみに、日本の真言宗(しんごんしゅう)の開祖である弘法大師(こうぼうだいし)空海(くうかい)も、独自の『般若心経』解釈を残しており、当然、その解釈は、禅宗のものとは異なります。
山田無文老師の解釈は、臨済宗にいて、最も正統的で信頼できる解釈であり、現代語訳であると思います。
しかし、仏教全体から見れば、山田無文老師の現代語訳が唯一絶対のものではないということを前提にお読みください。
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