野狐禅(やこぜん)
2015-09-13
■妖怪となった禅僧(2/4)
かつて、百丈山の和尚であった老人は、自信をもって
「不落因果(ふらく-いんが)」
と答えました。
これは、「因果に落ちず!」ということで、
「禅の修行を極めれば、因果の法則にしばられない」
という回答です。
しかし、その答えは、間違いでした。
老人は、続けて語りました。
「私は、間違えたことを弟子に教えた罪によって、
野狐(やこ:のぎつね)の妖怪となって、
数百年間も、この山をさまよっております。」
「あなた様(百丈懐海(ひゃくじょう-えかい)禅師)は、
偉大な禅者です。
どうか、私に正しい答えを教えて、
私を野狐(やこ)という妖怪の身から助け出して
成仏させてください。」
それを聞いた百丈和尚(ひゃくじょう-おしょう)は、静かにうなずき、老人に同じ問いを問いかけるように促しました。
ついに、老人は、百丈に向かって、
「禅の修行を極めた大修行底(だいしゅぎょうてい)の人は、
因果(いんが)の支配をうけるのか?」
と問いました。
すると、百丈は、
「不昧因果(ふまい-いんが)」
と答えました。
これは、「因果を昧(くら)まさない」ということで、
「禅の修行を極めた人であろうと、仏様でも、阿弥陀さまでも、
「原因と結果の法則」をくらますことはできないぞ!」
という意味です。
禅の修行によって得る心の大自在とは、
因果を超越したり、無視したりすることではなく、
因果の法則を受け入れて、より良い人生を生きていくことだ
というのが、百丈和尚(ひゃくじょう-おしょう)の回答でした。