馬祖の最後の大説法-2
2015-09-07
■病気の馬大師(2/2)
禅の世界では、修行のために相手に強い疑念を起こさせようと、わざと意表をつく問いかけをします。
日常的な思考方法では意味が分からない表現で、
人間にとって最も大事で本質的なものは何か?と問いかけて、
修行の導きのしようとします。
修行者は、頭で考えても意味が分からないので、公案を手掛かりに、坐禅の修行によって悟りを開こうと努力するのです。
馬祖の「日面仏(にちねんぶつ)、月面仏(がちめんぶつ)!」も、まさにそのような本質的な疑問を起こさせるための言葉です。
とはいっても、馬祖の言葉は、現代の普通の日本人にとっては、さっぱり意味の分からないものになっています。
しかし、当時の中国のお坊さんにとっては、言葉の表面上の意味は理解できたようです。
当時、お寺で学ばれていたお経の中に、さまざまな仏様を紹介したお経がありました。
その中に、1800歳という大変長寿な仏様として「日面仏(にちねんぶつ)」が挙げられているそうです。
反対に、わずかに一日一夜という短い寿命しかない仏様として「月面仏(がちめんぶつ)」が挙げられているそうです。
馬祖は、自分の重い病気のことを聞かれて、病気を超えた人間の本質を伝えようと、
最も長命な仏様と最も短命な仏様の名前を並べて相手に伝えたのでした。
はたして、「日面仏(にちねんぶつ)、月面仏(がちめんぶつ)!」という馬祖の言葉は、何を伝えようとしているのでしょうか?
どうぞ、つづきをお読みください。
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