11月15日(火)「禅の知恵と古典に学ぶ人間学勉強会」開催しました。
今回は衆知で連載されている記事の中から引用させて頂きました。
禅では誰もが生まれながらに仏様と同じ絶対的に清らかな仏心を持っていると教えます。
人間は、本来仏様と同じ清らかな仏心を持っているのに、むさぼり・怒り・愚かさなどの煩悩によって心の本体を見失っているのです。
だから座禅によって心を磨き、まず清らかな心の本体に気づくことが、禅修行の最初の目標になります。
若い頃から熱心に禅を学んできた粛宗は「誰もが仏様と同じ清らかな仏心を持っている」
という基本について十分に悟っていました。基本の悟りを得るだけでも大きな自信が生まれ、ストレスに強い心になれます。
わかりやすく教えないで、ヒントを与えて自分で考えさせるのが、禅の指導法です。
そのため、すぐには相手が理解できないこともあります。
【非常時に必要な決断力と平常心】
トップとして未曾有の国難に立ち向かっている粛宗は、これまでの禅の修行によって国難を乗り越えるだけの強い心を養えているかどうかを慧忠に点検してもらうことを求めました。それに対して慧忠は粛宗の修行を認めながらもさらなる進歩のために「非常時には大きな決断が必要になる。自分の思い込みにとらわれてはいけない。仏様の頭を踏み越えていくような思いきった変化や決断を恐れないように!」というアドバイスを与えたのです。
また「基本の悟りにとらわれずに、それを忘れることが大事だ」という慧忠の教えは、「過去の成功体験にしばられるな!」という意味に受け取れば現代のビジネスでも生きてくると思います。
21世紀に入って時代変化のスピードはさらに速くなっています。成功体験を積み重ねることで人は自分に自信を持てるわけですが、過去の成功体験が環境変化によって失敗の原因になることもあります。
成功体験を大事にしつつもゼロベースで考える自由は発想法がますます大事になりつつあるのではないでしょうか。
松下幸之助氏は困難に直面した時の心得について次の様に述べています。
「憂事に直面しても、これを恐れてはならない。しりごみしてはならない・心配またよしである。心配や憂いは新しくものを考え出す1つの転機ではないか、そう思い直して、正々堂々とこれと取り組む。力をしぼる、知恵を絞る、するとそこから必ず思いもかけぬ新しいものが生み出されてくるのである。新しい道がひらけてくるのである。まことに不思議なことだが、この不思議さがあればこそ、人の世の味わいは限りもなく深いといえよう」