2018年8月24日(金)「禅の知恵と古典に学ぶ人間学勉強会」開催しました。

2018-08-26

今回は禅僧に学ぶから漢詩「円通寺」より
良寛さんについてでした。(江戸時代後期を代表する優れた禅僧)

「散る桜 残る桜も 散る桜」

という有名な辞世の句を残された方でもあります。

「今どんなに美しく綺麗に咲いている桜でもいつかは必ず散る。そのことを心得ておくこと。」

桜は散る。
命は散る。
必ず散りゆくこの命とは何なのか。
人がその人生において本当に考え抜くべき問いを残してこの世を去った良寛の辞世の句

仕事、家庭、対人関係、子育て、自分の将来、健康やお金のこと等、幸せな事より悩み事が多い日々ですが、物事にはすべて結果がある。ただし時間は止めることができない。
ならばどう時間を過ごすのかを考えること。
限られた「いのち」の中で、その結果に到るまでを如何に充実したものにし、悔いの残らないようにすることが大事だと思います。

凄く嬉しい事や感動する事もまた時間は過ぎてしまう。それを悲観せずに次の感動へ次のプラスへまたつなげていこうという、そんな意味を持っているのだと思います。

生涯の師と仰いだ国仙和尚が従事された岡山県の円通寺の禅道場で十二年ほども厳しい修行に取り組み

また、その間に、中国、四国地方を旅しながら、心の修行に励んだようです。国仙和尚から印可(いんか)という禅の免許皆伝を受けましたが、その後、円通寺を出て、5年ほど、各地を行脚する放浪の修行生活をしたのち、四十歳頃に故郷の越後に戻りました。

良寛さんは、22歳(通説)のときから34歳にかけて(1779年~1791年)、岡山県の円通寺において、生涯の師である国仙和尚について本格的な禅修行をおさめました。
良寛さんは人一倍熱心に厳しい修行に精進し、他の僧の気の緩みを嘆くほどの、妥協を許さない修行者となっていきました。

仙桂(せんけい)和尚(おしょう)は 真の道者(どうじゃ)
貌(ぼう)は古(こ)にして 言(げん)は朴(ぼく)なるの客(きゃく)
三十年 国仙(こくせん)の会(え)に在(あ)りて
禅に参ぜず、 経(きょう)を読まず
宗門(しゅうもん)の一句(いっく)すら いわず
園蔬(えんそ)を作って 大衆(だいしゅ)に供養(くよう)す
当事 我(われ)之(これ)を見れども見えず
之(これ)に遇(あ)い、之(これ)に遇(あ)えども遇(あ)わず
ああ 今(いま)之(これ)にならわんとするも、得可(うべ)からず
仙桂(せんけい)和尚(おしょう)は 真の道者(どうじゃ)

<現代語訳>
仙桂(せんけい)和尚(おしょう)は、仏道における真の修行者だった。
そのふるまいには飾りけがなく昔風で、言葉も素直な人物である。
三十年間、国仙和尚のもとにあっても、坐禅もしない、お経も読まない、
宗門(しゅうもん)で教わる一句さえ言わない。
ただ、畑で野菜を作っては、多くの修行者に食べさせていた。
当事、私はこの人を見ていたが、真には見えていなかった(理解できなかった)。
彼に会っていたが、真の意味では会っていなかった。
ああ、今になって、この人に見習おうとしても、それはできないことだ。
仙桂(せんけい)和尚(おしょう)は、仏道における真の修行者だった。

この詩は、良寛さんの得た真の仏道をよく表しています。
仏道とは、難しい学問や特別の修行やこの世の人々の作り出した分別(価値基準)にこだわる(執着する)必要はないという境地です。
むしろ、日常の普通の出来事(小さな事と思われるようなこと)をおろそかにせず、淡々と正直に続ける事の中に大切な道があることが、この詩に表現されています。

勉強会でいつも感じるのは、禅は基本的に答えを教えず、考えさせる。

問いを与えるというか問いこそが大切と。だから答えがあって、それにすがってしまう、、疑問を感じる事なく思い込んでしまうというのを無くして自分の心に何度も問う事を通じて、答えよりも考える事、自分なりの答えを見つけることを重視しているのだと感じます。

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