2018年9月28日(金)「禅の知恵と古典に学ぶ人間学勉強会」開催しました。

2018-10-01

今回は衆知の笠倉先生の記事から

碧巌録から百丈和尚の話
百丈懐海(ひゃくじょう・えかい。七四九~八一四)禅師は、唐の時代の福建省長楽の生まれ、二〇歳で西山慧照和尚のもとで出家し、南嶽の法朝律師から具足戒を受け、広く仏教を学び、馬祖大師の法を嗣いだ。

そして江西省の大雄山(だいゆうざん。百丈山)に大智寿聖寺(だいちじゅしょうじ。百丈寺)を建立して禅風を鼓吹し、い山霊祐(いさん・れいゆう。い:さんずいに為)禅師、黄檗希運(おうばく・きうん)禅師など多くの弟子を育てた。

禅の教えは自分の心を静め、自己に向き合う事で自己の本質に気づく。
その為に論理的に解けない質問をわざとして自己とは何か?という根本的な問題に目を向ける様にしているとの事。

つまり答えを用意し、答えを求める事ではなく
問い続ける事が重要と。いう内容なのですが面白いのは
参加者からの話で
毎年東大に何百と輩出している○○高校でノーベル賞受賞は1人もいない。

頭が良い、頭の回転が速い人というのは早く答えを求め、出して動いていく。
そんな論理的な所をどんどん突き詰めていく方が多くて
頭の中ですぐに答えが出てしまって、答え通りにいかない場合は
自分よりも先に周りの動きが悪いから、理解していないから
という結論になってしまうのでは・・?

じっくりと物事を考え考えすぐに出ない答えであっても追求し続けていく、そんな探究心が禅を学ぶ土壌にあったのではないか。

であるならば、ただ単に座禅や書物を読むだけではなく
答えの無いものに対して物事を突き詰めて考えていく教育が
今の世に求められているのではないかとの事で新たな視点からのヒントを頂きました。

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