『禅と陽明学』より「儒教と老荘と禅」

2014-02-28

『中庸』(ちゅうよう)という儒教の古典の中から安岡先生は、「君子(くんし)、よく時中(じちゅう)す」という言葉を引用して宇宙の発展原理を説明されています。

「君子(くんし)、よく時中(じちゅう)す」という言葉には、政治や経済において、重要な地位にある人は、すべからく「君子(くんし)」という立派な人物であってほしい。その時々に偏りのない適正な判断を下せる「中庸」の徳を備えていてほしい、という願いが、込められているように思います。

逆に言えば、「中庸」の徳を身につけた「君子」が少なく、暴君的な権力者が多かったことによる弊害を中国人は、痛切に感じていたのでしょう。

対立する複数の勢力・意見・力をより高いレベルに総合し、よりよい状態を作り出していくことが、「時中」です。

そして、よく「時中」することのできる「中庸(ちゅうよう)」の徳こそが、人間社会をより平和でより豊かに導いていくものだと考えられました。

>我々の造化、生命発展のあらゆる機に進歩してゆく。
>これが時中(じちゅう)というものです。
(『禅と陽明学』p.155)

人間界のみならず、自然界もまた、すべて、相対性が時中することによって進歩発展すると安岡先生は説明されています。

さて、「中庸」を尊ぶ考え方は、日本にも受け継がれています。歴史的には、戦乱の時期が少なかった日本こそ、中国以上に「中庸」の徳を発揮してきたのではないかと私は思います。

ちなみに、仏教でも「中」という考え方が、重視されています。お釈迦さまは、苦行ではない、かといって、堕落でもない、「中道」の修行に目覚めたときに、大悟して仏教を開宗されました。

儒教では「中庸(ちゅうよう)」、仏教では「中道」と言葉は異なりますが、目指す精神は同じでしょう。

現代社会に生きる私たちにとっても、かたよりの無い適正な判断力や行動を示す「中庸」や「中道」は、とても大事な徳だと思います。

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