無門関第35則「せい子が二人に分身した」
柴山全慶(しばやま–ぜんけい)老師は、この公案が伝えようとしている禅の世界観を以下のように書かれています。
われわれは真妄(しんもう)の二元的対立を超えて、
一如(いちにょ)の絶対観に立たねばならぬ。
ここに新しい見地が開け、改めて二元的な世の諸現象を
自由にして生きる境地が確立する。
『無門関講話』(柴山全慶著・創元社)
「真妄(しんもう)の二元的対立」というのは、物質と精神、自分と世界、私とあなた、善と悪、勝ちと負けなど、あらゆる二元的な対立のことを言っています。
深い坐禅や瞑想状態に入ると、一如(いちにょ)の絶対的な世界を見ることができます。それによって、絶対的な主体性を確立することを禅では「悟り」と名付けています。
禅の修行によって「一如(いちにょ)」の絶対観を味わうと、普通の現実世界の見方が変わってきます。
現実世界は、つねに対立や差別があるわけですが、その根底には、「すべては一つにつながっており、絶対平等である」という「ワンネス」の性質があると感じるようになります。
それによって、表面的な対立や差別への捉われから解放されて、対立に満ちた二元的な現実世界を「自由にして生きる境地が確立する」境涯に至ります。
それを真の主体性が確立したという意味で、禅の公案では「主人公」とか、「本来の面目」とか呼んでいます。
真の主体性を確立することが禅修行の目標ですが、私たち凡夫には、なかなか到達できない世界でもあります。
それでも、多少なりとも、坐禅や瞑想に親しむと、過去の自分との比較して、少しは、現実の差別感から自由になれるように感じられるのが、禅の功徳(くどく)と言うべきでしょうか。
<9月のイス禅セミナー:ご案内>
イス禅と禅仏教の古典(『無門関』など)に学ぶセミナーを
9月17日(水)に、秋葉原駅近くの区民会館で開催します。
前半は、誰でもできるイス禅瞑想の実修です。
休憩後の後半は、禅の古典からの講話となります。
禅に関心のある方は、どなたでも参加できます。
日時:2014年9月17日(水)19時~21時(開場18時30分)
場所:JR秋葉原駅そばの「和泉橋区民会館」
(千代田区立の公民館)