『禅と陽明学』より「儒教と老荘と禅」
2014-02-26
さて、安岡先生は、中国において発展して、日本人に多大な影響をあたえた「易」(えき)の思想から、儒教と老荘および禅の違いを説明されています。
易(えき)の思想というものは、
漢民族や日本民族、東亜民族の思考力とも言っていい、
普遍的なものです。
この易の陰陽相対(いんようそうたい)の原理、すなわち、
宇宙万物は、太極(たいきょく)―即ち相対的なものの無限本体―
の発展であり、自己の実現、あるいは創造、分化、
造化(ぞうか)であります。
(『禅と陽明学』p.154~155)
易(えき)の思想は、世界の変化を陰と陽の二大原理で理解していこうというものです。
さらに、陰陽という二大原理の働く以前の世界、その根本として「太極(たいきょく)」を想定します。
「太極(たいきょく)」とは万物の根源であり、易の思想では、この世界のすべてのものが「太極(たいきょく)」から生まれ出ると考えます。
万物を創造した造物主であるキリスト教の「神(ゴット)」と似ている面があります。
しかし、大きな違いは、「神(ゴッド)」は、ご自身の意思を持っているのに対して、「太極(たいきょく)」は、意思を持たない大自然・大宇宙そのものをさしている点です。
インドでも、中国でも、日本でも、東洋では、「造物主としての唯一絶対の神」という一神教的な発想は生まれませんでした。
八百万(やおよろず)の神的な多神教的な世界観の中で、さまざまな神様、仏様が活躍する舞台として、永遠に自己発展を続ける大自然・大宇宙を考えているように思われます。
生命を持つかのように、自己発展する大自然・大宇宙の根源的な生命力を象徴して、「太極(たいきょく)」というものを考えたのだと思います。
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